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小川)逆に人気のある急性期の大きな病院ではないところにですか?
阿部)大きなところは行かなかったです。小さなところで、お年寄りの慢性的な内科的なところをと思って選んできました。新潟の病院ですが、私は新潟から出たことないです。
小川)最近は三年で辞めるとか、三年単位で2割は辞めるとか、早期退職が全国的に言われていますけども、当時もそういう風潮はありましたか?
阿部)ありました。アメリカの方でも、一か所にとどまるなという、キャリアのある人ほど、動いて、自分を売り込む時代なんだよということを聞いていたので、どっかり座る人と、野心をもって定着する人と、続かない人とがいたので、今とあまり変わらないかもしれないですね。
小川)ここ4、5年はやたら離職率のことを特に騒がれていますけれども、当時もそういうことはあったんですね。
阿部)ぽつりぽつりと辞める人はいたし、私も結婚がきっかけだったのですが、2年か3年で辞めてしまいました。自分の求めているものと違うかな、やっぱり保健師の方に進みたいなという思いもありました。あとは結婚を機に相手の方から、夜勤はしないでほしいなどの要望がありましたし、その病院はパートは採ってなかったので、パートになるなら辞めなければいけないなと。今思えば、もったいないなという感じです。
小川)転職をする看護師さんの相談をよく受けますが、だいたい結婚を機に辞めて、子育てが終わるころに復帰されるという方が非常に多いです。みなさんお子さんを育てながらだと、パートでしか復帰できないという背景を抱えてますので、看護職であれば夜勤できないとしょうがないということもあるでしょうけれども、そういうのが関係なければ、夜勤してでも働きたかったですか?
阿部)家庭を持っていたころは、正直働きたくなかったです。やはり看護師は専門職なので、同じ学校だった友達がリーダーやっただの、研究やってるだのなんて聞くと、すごく焦ってしまって、複雑な気持ちはありましたけれども、結婚した相手から夜勤しないでほしいと言われましたし、まだ若かったんで、それが普通だと思っていたので、夜勤というのは考えなかったですね。もうパートでいいとわりきっていました。
小川)パートだとお給料が違うじゃないですか。時給単価も、福利厚生とか社会保険も変わりますし。でも、やってる仕事はほぼ同じじゃないですか。それについて違和感というのはありましたか?
阿部)その当時は、今ほど稼ぎに責任がなく、旦那さんにぶら下がっていればいい、働ければいいと思って、あまり収入については考えなかったですね。
小川)では、病院にとってはいい看護師さんだったんですね。
阿部)土日も空いている時間があれば働きますとか、10日連続勤務とかケロッとしてました。
小川)結婚されて、パートになって、夜勤をしなくなったということですが、よく夜勤をして体調崩す方いらっしゃるようですが、そういうことはなかったですか?
阿部)人によって違うと思うんですよ。私は夜勤をやっていた方が体調良かったというか。開放感があるというか。きちっとした生活ができなくて、むしろ今の方がストレスがありまして、体調を崩しているんですけど。もともと学生のころから、月から金まで出て、土日休みというのは続かない方だったんです。なので、夜勤するしないは、その人の体調によると思います。怖がらずにやってみて、それでだめだったらやめればいいと思います。
小川)そういうのは力強くていいですね。みなさん夜勤のところで結構ハードルがあると思います。
阿部)怖いっていうのもあるんですね。夜勤は責任もあるし、夜中にお医者さんを起こしてまで電話をかけなきゃとか、そういうのもあると思います。あとは、三交代のときは、家でご飯つくって、一時間か二時間寝て、また来なきゃいけないとかあるので、やはり家と仕事と、夜勤しながらだと、かなり負担になるのも仕方ないと思います。
小川)お子さんを育てながら、夜も働いてというのは結構ハードだと思うんですが、そのあたりをケアしながら両立していらっしゃるんですか?
阿部)とりあえず、家庭の事情として、稼がなきゃいけなかったんで、親の協力は絶対必要なんだというところは割り切りました。それで、頭を下げるべき時は下げて、何を言われても助けてほしい時には助けてほしいと言うことで、親を説得しました。親に対しても、例えば残業が続くと、コンビニでお菓子を買って帰ったりとか、そういう小さい感謝というか、ありがとうと言うことはできるだけして、親の存在はあたりまえとは思わないようには一応気を付けています。あとは、これだけバタバタすると、子供ともすれ違いになるんで、愛情表現をどうするかなというところは正直悩んだところなんですけど、ご飯作り・料理は愛情表現だと決めて、子供もそれで受けてくれたので、よほど忙しい時はできないですけど、最低一日一食は自分で作るということをしています。
小川)やはり協力してくれるご両親とかがいらっしゃらないと厳しいですよね。
阿部)正直、私も長女でわがままな方なので、親とはそれまではあんまりそういう関係ではなかったし、母親も私とは同居したくないというくらいぶつかりあってたんですが、割り切って頼みました。それは若い子にも言いますね。割り切りなさい、頭を下げなさいと。もうそれじゃないとやっていけないです。自分一人で意固地になって子育てはしたくなかったですし、父親がいない時点から、大勢の大人、親戚の中で育てたいというのがあったので、そこはお願いしました。私は父親と、母親の役目もしなきゃいけないので、あとは親には自分の子育ての考え方をちゃんと伝えて、じいちゃん、ばあちゃんは守る側に入ってくれって、常にお願いはしました。親も年をとるので、大変だとは思うんですが、まあよくやってもらってます。
小川)今お子さんはおいくつですか?
阿部)今、高校二年生、17歳です。一番大変だったのは、小学校のころ、ちょっといじめにあったりしたんですけど、その時は、私ができないところを、おばあちゃんが拾ってくれて、おばあちゃんには本音を吐いていたりということがあったので、やはり一人で子育てしないで正解だったなと思いました。
小川)幼稚園、保育園のお迎えはご両親が行ってくれていたのですか?
阿部)そうですね。家に帰れば必ずおじいちゃんかおばあちゃんがいるっている体制をとってくれてました。ちょっと甘えん坊になりましたけど。親たちも自分たちも頑張らなきゃって思ってくれてたんで、経済的にも助けてもらってるところもあります。
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