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小川)師長さんはこの病院に入られて長いんですか?
阿部)10月でまる17年になります。子供が産まれてから、ここに就職しました。
小川)ずっと同じ病棟ですか?
阿部)最初は内科病棟で、次が脳外科の病棟ですね。今が循環器と整形外科の混合の病棟にいます。三か所目ですね。
小川)師長になられて何年目くらいですか?
阿部)師長になって、まだ三年くらいですね。
小川)三年って短い方なんですか?
阿部)三年はまだまだひよっこです。
小川)17年前の看護師になられた当時に比べますと、今の看護師の仕事はやることが増えたりとか、機械もたくさん入ってくるとか、カルテも変わったりとか、いろいろあると思うんですが、どんな印象ですか?
阿部)どちらかというと、当時はお医者さんの診療の補助・介助の方が多かった気がするんですが、今は本当に看護師が責任を持って判断してケアをするというか、業務を展開していくっていうことが大きくなりましたね。退院支援とか、そういう専門知識や技術をもってひとりひとりが自立して看護するという。あとは書き物・看護記録がものすごく増えましたね。計画の評価とかそういうものも、昔はそんなに無かったのですが、今は転倒、転落、褥瘡関係の書類から、看護のひとつひとつの問題点に対して評価を書いたりとか、退院支援とかの書類ですね。患者さんの退院後の幸せといったことまで見越してのアセスメントとか、あらゆる面で、看護師さんにしか書けないものが増えてきました。
小川)患者さんと接している時間以外も長いですか?
阿部)長いですね。残業は記録が残ってしまってということが多いですね。
小川)PCでの入力が多いんですか?それともまだ手書きですか?
阿部)看護部はようやく看護記録が電子記録というかパソコンでの入力になったので、それ以外の日常の記録はまだ手書きですね。
小川)そういう流れはいつごろからできてきたんですか?
阿部)数年ごとに徐々に増えてきたんです。退院支援はここ2~3年だと思いますね。国の方から、在宅強化の声が上がってますので。そういう背景に対応しようっていう専門ナースというものも立ち上がってます。退院支援ナースって核になるような人がいますよね。今は入院中の生活のお世話だけじゃなくって、退院後の日常生活を入院中にどうしていくのかっていうことを考えるんです。入院した時から、この人はどういう形で退院していくのかっていうのを想定しながら関わっていくというのが、大きく変わったところでしょうか。
小川)そういう役割も業務の中に組み入れられているということであれば、本当に時間が足りない中でみなさん仕事をしていらっしゃるんですね。
阿部)ショートステイの方とか、退院前のカンファレンスに30分でも看護師が顔を出して情報提供しなければいけないので、今まではそういうことは無かったのが、やっぱりやる内容のひとつひとつが病棟だと濃いですね。
小川)現場の看護師さんと、師長さんの役割も変わってきていると思うのですが。
阿部)昔は一緒に体を拭いてって感じだったんですけど、私が師長になった頃には、師長の教育として、一緒に働いていたのでは見られないということを教えられ、管理・マネジメントですと言われました。同じ患者さんを見るにしても、ちょっと違う視点で見てサポートしています。
小川)プレイングマネージャーよりも、マネジメントの方がより多く求められているようにみなさんからお聞きするのですが。
阿部)研修にいくと、そういうことをよく言われますね。
小川)話は変わるのですが、師長はいつごろから看護学校に行こうと思ったんですか?
阿部)元々高校が衛生看護科なので、看護学校に入った時点で、看護師以外にも、助産師とか保健師とか、別の世界もあると聞いていました。
小川)高校に入るときから、こういう道がいいと漠然と思ってましたか?
阿部)実は看護師になりたくてなったわけではなくて、福祉関係の道に行きたいというのがあったんです。高校を選ぶ時に、自分は飽きっぽい性格なので、他の人とは違う科にいってみたいなというところで、看護科に行けば、多少なりとも福祉とか、看護学校から別のところもできるんじゃないかと思いました。高校のうちから、専門的な勉強をしたいというのがありました。あとは家庭の事情もあって、職業科を選ばせてもらったんです。商業よりは看護の方が、体験してみたいと思いました。だから、自然に看護師になるんだなという感じでした。看護師になるぞという感じではなかったです。看護師になるしかないな、看護師になっちゃったな、看護師しかできないなという感じです。
小川)今、看護学校に入る学生って結構多いじゃないですか。介護福祉士になる専門学校よりも、看護師の学校の方が定員いっぱいで。介護福祉士になるんだったら、看護師にという方が多いと聞くんですが、当時もそうでしたか。
阿部)私の頃は、介護士さんという資格がありませんでした。20年くらい前は、まだ介護という分野がこんなに前に出てないので、看護師、お医者さん、理学療法師というくらいでした。看護か介護かという選択肢は無かったと思いますね。女の人が手に職というと、看護師か学校の先生かという、まだまだそんな時代でした。
小川)学校に行って看護師の勉強をして、国家試験を受けて、どういうふうに病院を選ばれたんですか?
阿部)私はちょっと救急とかが苦手で、実習も出来がいい方ではなかったので、基本的なケアを教えてくれる病院ということで、小さな所を先に選んだんです。学校の先生にも相談して、そこは看護の基本を教えてくれるよと言われて選びました。
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