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小川)看護部長さんは、新潟の方ですか?
泉田)いえ、県外からです。結婚で山口から新潟に来たんですよね。
小川)山口と新潟なんて縁もゆかりもないですよね。
泉田)ないですね。来てみてびっくり。最初は雪との格闘で大変でしたね。雪が地面から吹いてくるというのは、新潟で初めて経験しました。傘が役にたたないということも、雪が重いってことも知りました。何もかも初めてでした。
小川)家庭を持ちつつ、仕事もされたのですか。
泉田)そうですね。全部が中途半端だったかもしれません。
小川)今、ケアスタッフで復職される看護師さんで、子育て中の方たちが8割位いるのですが、結婚・子育てをしながら働くと、土日休みを希望される方が多いんですね。
泉田)私も最初はそういう仕事を探してましたが、当時は正職員では絶対に無かったんです。夜勤もしないとか、土日もしないとなると、おのずとパートの道しかないんですよ。それで、しばらくは病院でパートをしていました。ここの病院が、夜勤とか、私の家庭の状況を分かっていまして、それでも正職員で雇ってくれるって言ってくれたので、この病院の前身ですけれども、そこに就職したんですね。ただ、その間も、私ここを2回辞めてるんです。一回目は姑さんが病気になって、手術うんぬんで付き添わなければいけなかったので、その理由で辞めました。
二回目は、子供のことと、お姑さんが脳梗塞を発症しまして、二十年間位介護していました。結婚して、子供が生まれた年に倒れて。だから、子育てをし、おばあちゃんの面倒みながら、仕事をするというような雰囲気ではなかったです。当時は正職員というのは、ありえなかったのですが、ここで雇ってくれるということで、私もパートで職を求めてきたんです。それで、正職員で雇うということを言われました。やはり看護師がいなかったんですね。その後、ここを辞めて、一か所違う病院で勤務してましたけれども、そこは一年しかいませんでした。それで、またここから声がかかってきて復職をして、しばらく働いていたのですが、子育てのことと、舅と姑さんがそれぞれ違う病院に入院することになって、とってももう身が持たないということで、辞めて、そしてまた戻ってきたという感じです。本当に両立というのはなかなか難しかった。どちらかを切らないといけないような状況でした。私としても、女の職場というのはこういうものだと、あきらめつつ働いてきたという経緯がありますね。
小川)今まさに子育てをしていらっしゃる方のお気持ちがよくお分かりになりますか。
泉田)そうですね。パートだからといって、中身は一緒なんですよ。責任のあるお仕事だったり、やっかいなものはパートに来るんですよね。当時はそれが当たり前でしたが、いただくお給料は雲泥の差ということに甘んじなければ、仕事をしていけないというところが確かにありました。やはり今も、時々は少し疑問に思うこともあります。パートさんで、きちんと仕事をしている人がいても、非正規のあり方というのはそういうのが当たり前みたいになってきているんですよね。看護師さんの世界では当然のようにあるわけですけれども。私はやっぱりパートではなくて、きちんと働きたかったんですよね。
でも今の人たちはパートでもいいという方が多いですね。それぞれの働き方とか、あとはそこそこでいいというような考え方が、きっとあるんでしょうね。だからエリートという人も、そうではない人も、多様化していることを肌で感じますね。
小川)今実際に子育てを終え、落ち着いて、看護部長として業務をしていらっしゃいますけれども、どのくらいの期間を経て、その体制になったんでしょうか。
泉田)子供が三人、みんな男なんで、はっきり言って大変でした。やっぱり残業厭わず働いていましたから、子供は変な方へいきますわね。夜勤はしてなかったんですけど、ここ(みどり病院)も34歳の時には、もう師長になってたんですよね。人がいなかったんですよ。それで、やっぱり管理となると、委員会も持ったり、師長業務もするなかで、定刻になんか当然帰れないですね。それもきっと自分のなかで納得するまで仕事していたということがあって、帰宅時間も九時前後っていうのが当たり前という日々を過ごしてましたね。
小川)その時は子育ては旦那さんがやってくれてたんですか?
泉田)男の人も仕事がありますし、そんなに協力するタイプじゃないです。男の人からしたら、そんなに働いてもらわなくて結構みたいな感じの事を言いますよね。辞めろと言われるのが怖いから、私もそれ以上言わなかったです。子育てって、保育園は保育園の時期、小学生は小学生の時期、中学生、高校生、その時にはその時なりの大変さがあるんですね。やっと肩の荷が降りたのは三年前くらいでしょうか。女の人が働くっていうのは、ほんとに大変だなって思いますよね。そしてましてや、資格を持って働くってことが、ある意味頑張りにもきくんですけど、きちんとしようと思えば思うほど、自分の責任も苦しくなるんですよね。責任感が強い分、他の人もそうだと思うんですけど、きちんと仕事してからということになるんです。基本的に看護師さんたちって性格的には、まじめな方がなると思うんですよ。ぎりぎり頑張ってしまって、疲れ果てちゃうんです。バーンアウトみたいな感じで。結果的にはそうなってしまったということがありましたね。
小川)子育てをして、ご両親の面倒をみながら、仕事を続けることができた背景、やりがいをどのへんに見出されたのでしょうか?
泉田)やっぱり役に立ちたいって思いがあったり、看護師の仕事が好きだっていうのがあったからでしょうね。他を知りませんからなおさらかもしれません。結構辞めたりしている方もいますけれども、本当は戻るチャンスがあれば、戻りたい人もいると思うんですよ。ただ、電子カルテだったり、機械だったり、教育問題だったりと、いろんな状況が変わっていて、戻るというのにはすごい勇気がいるんですよね。戻れる環境かどうかというところをすごく気にしてるんですよ。だから、職場の上司はどんな人だろうとか、教育システムはどうだろうとか、いまさらできませんなんて言えない年齢の方たちも言える環境であり、サポートしてくれるのかといったところがかなり気になっているんだと思うんですよね。
小川)就業中の方の中には、子供がちょっと手がはなれて保育園に預けられるからという事で登録にいらっしゃいますけれども、小学校も卒業して10年ブランクあると、やっぱりもう病院には行けないっておしゃいますよね。
泉田)でも、うちの病院は、大丈夫だと思います。ここ(みどり病院)は急性期の病院ではないので、そんなに手術があるわけじゃないんですね。基本的には療養型の病院なので、今の最新の治療とかではないんです。やっぱり療養型の看護こそが看護師の一番力が発揮できる環境じゃないかなと私はそう思ってるんですね。急性期の病院では急性期の看護師の役割という重要な部分があると思うんですね。でも、ひところ第一線を退くようなことを考える方がいますし、たしかにそういうふうな見方で見ると、療養型だからこそできる看護というものがあると思うんですよね。医師の指示がなくても、患者さんの世話とかそういったことはできるわけなので。介護施設のような介護さんが主体にやっているところでは、どうしても看護職よりも介護職の方が、結構能力を求められる事があると思うんですけれども、病院の中なので、イニシアチブは看護職がとっています。
療養上の世話っていうところでは看護職、日常生活の世話は介護職っていう、ある程度役割分担をしながら、いい連携をとってケアしていくというところが重要になってくると思うので、療養型の病院の看護師さんこそ、疾患とかいろんなことを知っていて、いまどういう状況にあるのか、これが危険なのか大丈夫なのかっていうのをある程度判断できるアセスメント能力が求められると思うんですよね。今までは、一般業務で疲れたとか、そういう医療的なものについていけないという人が辞めて、うちの病院のような療養型の病院とか介護施設に行くっていうのが多かったのですが、今度はこちらの方から、こういう職員を求めていますということを言っていいと思うんです。やっぱり、一般病院で5年以上10年くらい務めた一線の人に来てほしい。
小川)セカンドキャリアっていうところでしょうか?
泉田)そういう人たちには、うちの病院の理念とかありようを十二分に理解した上で、看護師としてやってもらうのが一番で、ある程度の人数はそういう人がそろっててくれないとなかなか若い看護師を育てるにも不十分なんですよね。
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