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丸山)はい。看護専門学校を卒業したのが、昭和62年です。県立瀬波病院4年間勤めて、平成2年の4月にがんセンターに転勤しました。
小川)なるほど。平成2年からがんセンターに?
丸山)平成2年にがんセンターに転勤して、手術室と外科の病棟に勤務しました。副看護師長のときに、新潟県立看護大学大学院の修士課程に入ったのが、平成18年。
小川)おっ最近ですね。
丸山)はい、最近なんです。
小川)それは大学院に勉強をし直しに行かれたんですか?
丸山)そうですね。
小川)そうですか。大学は2年間?
丸山)修士課程の2年間とがん看護専門看護師の資格を取得するためにさらに1年勉強しました。
小川)それは認定看護師とは違うんですか?
丸山)違うんです。がん看護のスペシャリストになります。
小川)なるほど。
丸山)がんセンターで勤務しているうちに、看護師もスペシャリストにならなければいけないなと思ったので・・・、いい歳だったんですけどね(笑)
小川)それって働きながらで?1回も休職とかってしてないんですか?
丸山)していません。だいぶ前に新潟県で認定看護師さんをなんとか出しましょうという時代があったんですけど、その時にも外科病棟にいて、外科の周手術期看護、緩和ケアについて勉強していて、緩和ケアの認定看護師になりたいと思ったんですけれど、その時は行動に移しませんでした。
小川)そうですか。
丸山)その後、東京でがん看護専門看護師の講演会があるっていうことで、当時の上司の師長で、今の看護部長が『自分も行くんだけど、あなたも行かない?』って声かけてくれて。まぁ私としてはすごく興味がある内容だったので、そこに行ったんです。行ったら、もう自分たちとの差が物凄いなって思って、この人たちが本当のスペシャリストで、自分はまだまだ全然スペシャリストじゃないんだっていうのが分かってしまって。
小川)なるほど。
丸山)ですけど、子どもがまだ幼稚園で小さかったので、とっても自分がそんなふうに進学をしたりだとか、更に勉強を続けるなんてことは考えられなかったんですけど、だんだん勉強したいっていう想いが蓄積していきました。
小川)はい。
丸山)それで、ちょうどタイミングよく新潟県立看護大学に大学院ができて、がん看護のコースができるっていうのがわかって、ものすごく悩みました。家族は、前から私が勉強したいのを我慢しているというのをわかってくれていました。子どもがまだ小学校3年生だったんですけど、家族は応援できる今、この時に協力してくれました。仕事は休まずに8回の夜勤もしながら、上越に通学しました。
小川)そうなんですか。大学院ですよね?
丸山)大学院です。
小川)なるほど!
丸山)1年目のときは、休みは全部大学で、仕事が終われば大学に行き、帰ってきたら仕事に入るまでは勉強して新潟に戻るっていう生活を送っていました。
小川)そうでしたか。
丸山)子どもも大変だったと思います。1番辛かったのが、1ヶ月半の実習でした。新幹線で通学していました。月曜日の朝行って、金曜日の夜帰ってきていました。土日は凝縮した時間を子どもと過ごしたいのですが、課題があるので、机に向かいながら、子どもと一緒に勉強して過ごしていました。そんな1週間を繰り返しながら、子どもに申し訳なくて、いつも新幹線の中では泣いていました。
小川)実習もあり、勉強もあり、それで自分でレポートなど研究されていくわけですよね?
丸山)そうですね。冬になると上越の通学が大変なんですよ。
小川)そうですよね。
丸山)帰ってくる時は大抵夜なので、途中で大雪でものすごい時間をかけて新潟に帰った時は辛かったです。
小川)そうでしたか。それで3年でスペシャリストに?
丸山)はい。それで日本看護協会の試験を受けて・・・
小川)あっ試験があるんですね。
丸山)あります。
小川)大学院を出て終わりじゃなくて、修士が終わった後に試験を受けるですね。すごいですね。
丸山)試験に受かって、今3年目です。専門看護師としても3年目で、看護師長としても3年目です。
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