インタビューVol.08-1 十日町中条第二病院 大谷さん

十日町中条第二病院 大谷さん

【十日町中条第二病院 インタビュー】


小川)今、十日町病院の看護師さんが少ない、集めにくいというお話をしましたけど、病院は十日町の県立病院さんと住み分けは慢性期といいますか・・・
大谷)正式な話をして住み分けをしたわけじゃないですけど、うちは老養と障害者病棟しかないので、必然的に住み分けができてって感じですよね。

小川)なるほど。大谷看護部長さんはどれくらい前からこちらにいらっしゃるんですか?
大谷)私は看護部長になったのは魚沼に転勤してなったんだけど、ずっと師長まではここだったので。

小川)看護師になってからですか?
大谷)はい。

小川)そうですか。じゃあ1回魚沼に転勤して?
大谷)魚沼に3年間、看護部長になる時に転勤して、それで平成18年からこちらに転勤して戻って来たんです。

小川)平成18年からですか。
大谷)はい。中条に。

小川)では看護部長としてこちらで6年?
大谷)そうですね。7年目になりますね。

小川)では歴史を全部、若い頃から経験させてますもんね。
大谷)それはありますよね。

小川)昔も老養病床中心だったんですか?
大谷)いいえ。中条病院は昔は外科は産婦人科でみんなオペしたり出産もあったんですけど、だんだん医師が確保できなくなってきて、こういう状況になってますよね。

小川)そうだったですね。では大谷看護部長さんは若い頃は産婦人科だったりか?
大谷)私が入職したときは、昭和52年に入職しましたけど、産婦人科も外科もあったんですよ。あと内科と。それと精神科も中条病院としてありましたよ。

小川)中条病院とこちらの病院と2つ同時に?
大谷)中条病院の中の精神科だったんですよ。

小川)あっ精神科だったわけですか?
大谷)中条病院の中の精神科だったんだけれど、そこから精神がわかれて、向こうに第二病院ってのができていますけどね。

小川)昭和52年からですと、日本の歴史もだいぶ変わって経済成長してる最中から、盛り上がった頃にまたバブルが終わって、また低迷危機に入ってる頃ですけれど、医療に携わってずっと病院に勤務してらっしゃると、やっぱりその経済状況によって、来る患者さんとか役員事情についても変わったりしていますか?
大谷)していますよね、やっぱりね。

小川)そうですか。20年くらい前なんてそんな高齢化なんて言われる前ですよね。
大谷)そうですね。寝たきりの人っていうのもそんなにいなかったですし。

小川)あっいなかったんですか?
大谷)はい、そんなにいなかったですよね。私はほとんど精神の方でしたけど、62年頃こっちにきた時は、その頃はまだ先生たちも内科の先生たちも3~4人いらっしゃったから、結構濃い治療もしてましたし、患者さんも若い方とか来てたりしてましたけど。

小川)なるほど。それじゃあ、配属されたのは最初から精神科の方に配属されたんですか?
大谷)私は入ったときは精神科だったんです。

小川)そうなんですか。精神科を希望させたんですか?
大谷)希望というか私は厚生連の責任じゃないんです。厚生連はあの頃は、3月のうちに卒業生は配置させていましたよね。私はよそから来て、4月1日の入職だったので、先に配置が決まっていて、そこに空きがあったところが精神科だったんです。

小川)なるほど。もともと精神科にはご興味はおありになられたんですか?
大谷)興味はそれほどその頃って精神科には興味があったということではないですけれど。私が入ったその頃って3つの病棟があったんですけれど、その頃から老人が多かったので、そんなに違和感はなかったですね。


十日町中条第二病院

小川)なるほど。学生の頃から看護学校に入って勉強してらっしゃったと思うんですけど、働き始めると学生の時の実習の時のイメージとは違ったりさせましたか?
大谷)私、准看の経験をして進学コースに行ってるので、全くの初めての経験ではなかったですけどね。

小川)そうなんですか。初めての経験ではないわけですね。働きながら学校に行かれて?
大谷)働きながらっていうか、進学コースなのでそこは2年間は勉強でしたけど、その前の准看の時に働いてっていう。

小川)なるほど。では社会人経験があって更にキャリアアップのために勉強をされて?
大谷)そんですね。そういうことになりますね。

小川)ですよね。働いて1番何が大変でしたか?
大谷)働いてて?

小川)はい。最初に入職されて看護師として働き始めて。
大谷)准看の時に看護師になって?そうね、私たちの時は今みたいにフルセプターっていう感じじゃなかったので、精神は特にここに入ったときは准看護師の人と看護補助員さん、男性の看護補助員さんがいらして、男性の看護補助員さんと夜勤だったんですよ。まだ有資格者同士じゃなかったんですよね。なので、その自分の番になると責任が自分になるっていう。

小川)そうなんですね。
大谷)そんなこともあったけど、そんなに大きく困ったことはなかったかな。まぁ環境に恵まれてたっていうか、大変なことにぶつからないですぎた感じです。

小川)なるほど。順風満帆ていうことでは?
大谷)そうではないですけれど、自分で調べたりしないとですよね。

小川)なるほど。教えてくれる人がいないわけですよね。
大谷)1~2日教えてもらったら、あとわからないところは自分で調べていくって感じですよね。

小川)わからないところは自分で勉強してっていう・・・
大谷)はい、私たちの頃はそういう時代でしたからね。大雑把には教えてくれるんですけれど、そんな細々と教えてくれる人はいませんでしたね。だから、作ってあるテキストみたいなのを見ながらやってましたね。わからないことは聞くし。

小川)今、夜勤入ったりするのも今の看護師さんですと、夏くらいまでは入らないですよね。
大谷)厚生連は5月頃からです。

小川)そうですか。
大谷)はい、うちは2人夜勤なんですよ。なので、4~5月は日勤して、6月に3回、経験として先輩と一緒に見習いながら夜勤に入ってもらって、7月に目標として1人夜勤というか、自分で自分のチームを見るということで、このところやっていますね。

小川)なるほど。当時はそういう体系ではなくて、先輩に教えられながら先輩の背中を見てという?
大谷)夜勤の見習いはあったけれども、1回だけだったからね。深夜、準夜通して。

小川)あっ1回だけですか?
大谷)昔は2交代や3交代もあったみたいだけど、多分1回しか夜勤の見習いっていうのはなかったです。私たち、今は新人教育とかいろんなことやってるから、整えてくれましたけど、それまでは1回見習いだけで、夜勤に入っていました。

小川)なるほど。あの、夜勤入って日勤やってっていう体力的にも精神的にも大変な面もおありになると思うんですけど。
大谷)私たち、入ったときは日勤して夜勤入って準夜してまた翌日は日勤だったけれども、今、厚生連は必ず夜勤に入る前は12時間以上開ける。勤務の12時間は開けるということなので、夜勤に入る前は必ず半日か1日休みなんですよね。それで、深夜をして、翌日の準夜。準夜は1時に終わりになるので、その日はずっと休みになるわけなんですけど、私たちが入ったときは、そうではなくて途中からこういうふうになりました。

小川)途中から変わったわけですか。
大谷)その代わり、夜勤の関係で単独でのお休みっていうのが少なくなりました。

小川)看護学校に行かれて、それから勉強されて正看なられて、就職したと思うんですけど、そもそも看護師を目指したきっかけってなんだったんですか?
大谷)私の母親に看護師がいいんじゃないかって言われてです。母の勧めだったんです。

小川)そうなんですか。高校生くらいの時に、看護師がいいんじゃないって言われたんですか?
大谷)中学の時にです。資格を持っていた方がいいとおもったんですかね。

小川)それを聞いてすんなり、じゃあなってみようかなって思いましたか?
大谷)勉強していくのは嫌いではなかったので、いいのかなと思いましたね。今になればきっとなって良かったんでしょうけど。

小川)そうですよね。では、そのお母さんの一言がきっかけで勉強して看護師の学校へ行こうかなと思ったわけですね。
大谷)そうですね。

小川)周りで看護師さんを目指す人って当時は多かったんですか?
大谷)私のときは、中学の同級生では私を含めて看護師になった人は3人いましたね。

小川)そうですか。中学ってこの十日町ですか?
大谷)いいえ、私は出身は岩船なのでそちらです。

小川)では高校はその地元の高校に通うわけですよね?
大谷)私たちの地元には高校がなくて、高校に行くには村上まで行かないとなかったです。

小川)あっ村上まで行ってたんですね。
大谷)私は高校に行かなくて、准看の学校に行ったんです。中学卒業して准看の学校に行っって、准看の学校を卒業してから定時制に行って、それから進学コースに行ったんです。

小川)あっそうなんですか。准看って5年でしたっけ?
大谷)准看は2年です。

小川)准看の学校に行って、それから就職をちょっとされてっていうことですよね?
大谷)そうですね。

小川)その准看のときも当然看護師として働かれてたんですよね?
大谷)そうです。准看護して働いていました。

小川)それから病院に入られたわけですか?
大谷)最初は開業医だったんですけど、途中から県立に入って、それで十日町に配置されてきたわけなんです。

小川)そうなんですか。なるほど。
大谷)はい、それで十日町にずっといるようになったんです。村上に准看の学校にあったので、結構そこから十日町にこられた方いますよ。

小川)今はもうないですよね?
大谷)だいぶ前になくなりましたね。

小川)親元を離れて、では就職をされたわけですね。
大谷)そうですね。

小川)社会人になって就職された時が、始めてお家を出た時ってことですか?
大谷)中学を卒業して准看の学校に行った時が、始めて家を離れた時です。その頃って私たちはみんな就職する人の方が多かったかな。だからみんなどこかに行くから、そんなに嫌ではなかったです。

小川)もう当たり前のこととして思えたわけですね。
当時ってやっぱり病院の仕事も入って、患者さんも多くて忙しくて、てんやわんやというような時代でしたか?

大谷)私はね最初開業医だったので、そんな感じではなかったですね。

小川)そうですか。開業医さんに就職されて、最初にどんな仕事をさせられるんですか?
大谷)最初ですか?掃除です。掃除したり、あとは昔は薬包紙で薬を包んでたので、量ってもらったやつを包んだりしていました。

小川)なるほど。それで慣れていきながらってところですか?
大谷)それで、准看の看護学校に行きながら、開業医で働きってしていたんです。

小川)なるほど。では夜終わってから勉強されるわけですか?
大谷)昼間学校行って、夕方19時頃から仕事だったので17時半頃から1時間くらいですかね、していました。

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